私のことを掲載した、テレビ・新聞・雑誌の紹介
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KIZUNA(2006年7月号)
(兵庫県・財団法人兵庫県人権啓発協会 発行)
※この文章は、取材を受けたものではなく、私自身の筆によるものです
マイノリティ自身にも求められる「共生の心」
今から30年以上も前、私が中学生だったころ、自分がオトコという性であることを嫌だなあと思う日々が続いていました。朝、目が覚めたら、ふくよかな胸と女性の性器を持つ自分になっていた、というような夢想ばかりしていたときもありました。男性でありながらそんなことを考えているのは、世界のなかで私だけしかいないヘンタイなのではないかとすら思っていたのです。今のように多くの情報に接することなどありえない時代だったのです。
親元を離れて大学に通っていたときには、札幌の歓楽街にあるバーでニューハーフとしてアルバイトしていました。「女性」で生活する時間を持つということは接客業をやるしか方法はありませんでした。そのお店に、私と同じく、週に2回ほどホステスとして働いている方がいました。アルバイト料はもらっていなかったようで不思議に思っていたのですが、半年ほどたったころ、その方が北大の教授であることを知りました(現在は故人)。私が通う大学の先生ということで驚いたのと同時に、プロではない人でも女装する人たちがいるんだと、すごくホッとしたことを思い出します。
ホッとしたのも数年の間。お店にこられ眼前にいるカルーセル麻紀さんを憧憬の目でみながらも、接客業ではなく高校教員という職業を選んだ場合には、彼女のようにいつも女性でいるということはできないのが宿命なのだと自分に納得させ、男性として仕事をし「男ときどき女」というライフスタイルを受け入れざるをえない現実に直面したのです。
1990年代の終わりごろになると性同一性障害という言葉が広まっていきます。こういった人たちを支える医療関係者や法律関係の方々が、いろいろとサポートしてくれるメッセージを発信してくれるようになり、当事者自身も、自分のことをヘンタイなどではないと思える状況に変わりつつあります。このこと自体は前進なのですが・・・・
ところで、医療機関に通うというわけでもなく、したがって、戸籍の性別を変えることが可能になった法律が適用されるわけでもない「男ときどき女」というスタイルで人生を送らざるをえない人たちが相当数いることをご存じでしょうか。性同一性障害の人の人権を守っていこうという条例も自治体によってはつくられていますが、この枠でカバーしきれない人たちがまだまだたくさんいるのです。ときには、枠内の当事者の人たちからですら、あの人たちは趣味でやっているとか遊びで女装しているなどの侮蔑の言葉が投げかけられたりもします。人は、自分がなんとか理解できる異端者を受け入れるまでに進んできても、理解しがたい人たちには依然として差別の言葉を投げつけるものです。
セクシュアルマイノリティ(性的少数)の人たちが普通に暮らせる社会というのは、自分にとって理解しがたい性のあり方についても、ヒトだけが持ちうる想像力を働かせて、その人たちの苦悩に少しでも思いをめぐらせることができる社会だと思っています。自分とちがった性のあり方をありのままに受け入れていけること、これは、一般の方のみならず、マイノリティ自身にも求められる「共生の心」なのではないでしょうか。
熊本日日新聞(2003.12.28)
平日は男性として首都圏の公立高校で教壇に立ち、週末だけ女性に―。体の性に違和感を感じる「トランスジェンダー」で、男性と女性を切リ替えながら生活する宮崎留美子さん(女性名)=熊本市出身=がこのほど、水俣市で講演。「性の在り方は、『男か女か』だけではなく、一人ひとり違う。その多様さを個性として認め合える社会に」と訴えた。
記事の全文は、左の記事の写真をクリックしてください
日本テレビ系列
スーパーテレビ情報最前線
(2003.6.30)
「男ときどき女」
※詳細は左の写真をクリックしてください
佐賀県教育新聞(佐賀県教組の新聞です)(2002.12.20)
12月8日、アバンセにおいて「両性の自立と平等をめざす教育研究集会」を開催しました。「佐教組両性の自立と平等をめざす教育推進委員会」主催です。推進委員の楽しい寸劇で参加された方へ問題提起した後、宮崎留美子さんの講演を聴きました。
宮崎留美子さんは、書類上男性です。「宮崎留美子」は、女性になった時の名前。月曜から金曜日までは、高校の社会科の先生。そして週末は宮崎留美子さんになるのです。40数年生きてきた宮崎さんが、今、獲得している彼女の生き方です。宮崎さんと同じ会場で2時間を過ごした参加者は、「自分らしさ」を求めて自分に正直に生きてきた宮崎さんの前向きな生き方とさわやかさに惹き付けられました。
推進委員会は、トランスジェンダーの存在を多くの教職員の方に知ってもらいたくて宮崎さんの講演を企画しました。トランスジェンダーとは、簡単に言うと自分の書類上の性と自分が自認する性が違う、ということです。そしてその違い方も、人それぞれです。ややもすると私たちは、「男性は・・」「女性は・・」と固定した考をもち、それを子どもたちに強制し、あるいはそのものさしで子どもたちを見、そして「あの子は・・」と判断してきたかもしれません。その結果たくさんの子どもたちの自尊心を傷つけてきたかもしれません。「性と言う視点で個性を見ていきましょう。」宮崎さんは自分の経験そして今を語りながら教育問題としてこのことを私たちにさわやかに訴えられました。
子どもたちに語る前に「自分は柔軟に生きているか」を再度問うてみたくなりました。インターネットで「宮崎留美子」を検索してみてください。素敵な出会いがあります。※詳しくは、左の記事の写真をクリックしてください
日本婦人会議発行
「I(アイ) 女のしんぶん」
2002.6.10自分らしく生きるとは
「自分らしく生きることを求めて」という婦人会議都本部権利部会主催の学習会に参加した。性同一性障害にずっと悩んでこられ、数年前にそのことをカミングアウト(公表)した公立高校の先生から話を聞き、ジェンダーについて考えようというものだった。
自分が生まれもった性に違和感を持ち、別の性で生活したいと願う人たちのことをトランスジェンダーと呼ぶ。きれいに化粧し、スカートをはいた宮崎留美子さんは、ご自身のことを語ってくれた。男として生まれ、中学のとき自分の性別への疑問を持ち苦悩した。高校一年で化粧と女装に目覚め、大学時代にはホステスもやった。卒業し、自分のライフスタイルで悩んだ末、普段の日は男性姿で教壇に立ち、週末は女性の姿で生活を送る「パートタイムトランスジェンダー」を選択し、心の安定を保つようにした。自分は「変態」かとずっと悩んできたが、九八年、埼玉医大で性転換手術があったとき、「性同一性障害を正しく理解して教えられる教師は少ない」と新聞に書かれたコメントを読み、教員である当事者の自分こそが語っていかなければと、性同一性障害のことを人権の問題として勇気をもって生徒に語るようになった。性役割からもっと自由になり、個人のさまざまなあり方が尊重される社会の大切さを子どもたちに訴えていきたいと話された。
参加者からも、子供や職場の同僚で性同一性障害に悩んでいる人の話が出された。まわりの強い偏見や差別のなかで、自分を肯定して生きている宮崎さんの話は、社会が生み出した「らしさ」にとらわれないで「自由な生き方」ができる社会を創ろうということをさわやかに語っていた。
(東京 鈴木よし子)
毎日新聞(2002.1.26)
カラー写真入りで、毎日新聞の「生活・家庭」欄に掲載されました。
記事の全文は、左の記事の写真をクリックしてください。
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数々の地方紙
写真は「沖縄タイムス」2001.7.26講談社現代新書などの著書がある伏見憲明さんが、地方紙に「性のプリズム」というコラムを書いておられます。このコラムのNo.7に、私のことが載りました。
岐阜新聞(2001.6.18)
岐阜・性教協の招きで、2001年6月17日に、岐阜市日光町の日光コミュニティセンターで、トランスジェンダーからジェンダー問題を考えるという主題で、講演してきました。
会場は満席状態になりましたので、まずまずは一安心でした。この講演のことが、岐阜新聞に掲載されました。左の写真をクリックすれば、このときの詳細な報告にリンクいたします。
サンデー毎日(2001.5.27号 発売は5/15)
2001年1月下旬、同性愛者やトランスジェンダーの教職員を中心に、「セクシュアルマイノリティ教職員ネットワーク」を旗揚げしました。
代表は、京都府の高校教師である高取さんというゲイの方。
もちろん、ゲイの方の数に比べれば、少ないながらも、私のようなトランスジェンダーといわれている人たちも参加しています。
高取さんや、海人さん、そして私(宮崎留美子)の3人のそれぞれの人間模様を交えながら、この「セクシュアルマイノリティ教職員ネットワーク」のことを紹介した記事です。
左の写真で、写真上は高取さん、写真下が私(宮崎留美子)。
←左の写真をクリックすれば記事内容を見ることができます。
大学生協をおいている大学数は、全国で200数十あるらしいのだが、そこの書籍部で無料配布される小冊子の34ページ〜36ページに、私が書いた文章が掲載されました。
全文を「留美子のエッセイ」コーナーにて収録してあります。どうぞご覧下さい。
上記のタイトルが写真をクリック。掲載された「読書のいずみ」は、2001年3月発行のもの
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共同通信社から配信された記事が、いくつかの地方紙に掲載されました。
岐阜新聞、高知新聞、京都新聞、徳島新聞、中国新聞の5紙を、現在は確認しています。
文章は同じものですが、タイトルが微妙にちがっています。
右の写真の上の方は高知新聞で「病気ではなく個性」になっており、下の方は、岐阜新聞で「自分らしい性で生きる」というタイトルになっています。
掲載日付は、概ね、2001年の2月中のようでした。
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時事通信社からの配信
(左の写真は、「河北新報」)本を出したことがきっかけとなり、時事通信社の取材を受けました。
時事通信社は、地方紙に配信する通信社であり、配信された記事を、実際に掲載するかどうかは、各地方新聞社の編集部に委ねられているとのこと。
現時点(2001年2月)で確認できたのは、全国で6地方紙です。左の写真は、東北地方で発行されている「河北新報」のものです。ずっと南にいって「八重山日報」にも掲載されたとの報告を受けています。
河北新報の記事は2000年12月31日
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婦人公論(中央公論社 発行)2/7号
雑誌としては、けっこう堅い雑誌で、しかも伝統ある「婦人公論」の2001年2月7日号(1月22日発行)に掲載されました。139頁です。
Peopleというコーナーで、2001年から始まった企画とのこと。各界で活躍している女性を、毎回1人づつ紹介するとのことです。私が女性としてカウントされたことは、とてもうれしい思いでした。
1回目は有名な女流画家、3回目がお茶の水大学長ということで、重鎮なお2人に挟まれて、ちょっと肩身が狭い気持ちですが、でも、こうやって紹介してくださったことは、とてもうれしく思いました。
うーん、とりあげて下さったのはウレシイのだけど...ちょっと複雑な思い。
だって、産経新聞といえば、国立二小での「日の丸・君が代」問題を、大々的に攻撃する形でキャンペーンを張った新聞でした。私が所属する高校の組合でも、もちろん、この新聞社の姿勢にはとても批判的です。
私の著書も、多様な人を認めあおうよ、ということで、日の丸・君が代についても、マイノリティの立場の人も尊重していこうよという趣旨なのです。産経新聞がとりあげて下さるとは、正直、思いもよりませんでした。でも、とりあげて下さってありがとうございます。
左の産経新聞のタイトルをクリックしてください。産経新聞社の私の書評コーナーにリンクしています。「月刊テーミス」誌は、会員制のビジネス雑誌。かなり硬派の雑誌なのですが、一般には市販されていません。主に、企業向けに年間購読契約として配本されるとのことです。
一般には売られていませんので、この記事については、全文を掲載しました。
上記の本のタイトル、ないしは、左の記事の写真をクリックしてください。
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時事通信社からの配信
(左の写真は、「茨城新聞」)「身をもって男女共同参画示唆」というタイトルで、私の本が紹介された新聞です。
茨城県にお住いの方で見られた方もいらっしゃるのではないでしょうか。ごらんになられた方は、私の方まで、感想のメールでもいただければ幸いです。
なお、「"身"をもって教える男女共同参画社会」というタイトルで、2000年12月25日に山口新聞、27日に鹿児島新報に載りました。茨城新聞の記事は2001年1月13日
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時事通信社からの配信
(左の写真は、「デーリー東北」)文章は、上の茨城新聞と同じなのですが、タイトルが「尊い多様な個性の存在」となっている新聞の例です。
今回の配信記事のタイトルのつけかたとして、男女共同参画社会というパターンと、多様な個性というパターンと、2つに分かれているのが、なかなか興味ありました。デーリー東北の記事は2000年12月29日