No.41 向坂逸郎氏とセクシュアルマイノリティ
向坂逸郎氏とセクシュアルマイノリティ 東郷健さんの新著、「常識を越えて」(ポット出版)という本は、なかなか面白い。でも、この本に書かれている内容を、"今の私"が読んだゆえに「助かった」と思っている。もし、私が若かりしころ、自分の頭で考えるのではなく、権威者の発言に付き従う態度があったころ読んでいたとすれば、発言にムカッときて、社会党や社会主義協会、そして、向坂逸郎氏にことごとく反対する反対派になり右翼にでも走ったか、あるいは逆に、ゲイなどのセクシュアルマイノリティをことごとく差別し、自分すらも否定してしまったかもしれなかった。思想的に成長し、ものごとを客観的に見ることができる力がついた"今"であって本当によかったと思っている。
私が若かりしころ、向坂さんの著書はよく読んだ。一般の書店に売ってあった彼の本はたぶんほとんど買い集めたと思う。もちろん、彼の翻訳である、岩波書店の「資本論」も持っている。読むのに骨が折れる本であるため、完全に読破したとは言わないが、それでも大方は読んだ。もちろん、十分に理解したなどということはありえない。そんな生やさしい本ではない。
一般の書店に売っていなくて、社会主義協会が出版している本などは、協会の事務所がある恩知ビルまで出かけていって買ったこともあった。同じく、彼の影響が大きい労働大学(※)があった四谷の自治労本部のビルにも、いろいろと本を物色しにいっていた。今でも、自宅には、向坂逸郎氏が書いた本はエッセイにいたるまでほとんど揃っておいてある。もっとも、フェミニズム、ジェンダー、セクシュアリティを学び研究する今は、彼の本は、書棚の片隅で埃にまみれてしまってはいるが。
(※)労働大学は正式の大学ではない.主として、旧社会党系の労働組合の活動家を教育し育てていくための機関である.社会党左派の影響力が強かった.社会主義協会や向坂氏の著書も多く売られていた。金額的にも手軽な労大新書は、活動家の座右の書になっていたことだろう。
向坂逸郎氏は、当時の社会党左派の理論的支柱として、社会党や労働組合の多くの活動家に大きな影響力をもっていた人だった。戦後史でも、1960年の三池闘争の記述には、必ずといってよいほどその名前がでてくる。九大教授をされるとともに、三池闘争の理論的指導者として活躍された。今の若い人は知らないかもしれないが、戦前の労農派と講座派のマルクス主義論争、そして戦後の左翼史を飾るキーパースンとして、名前と業績ぐらいは要チェックの人物といえる。
「常識を越えて」の本から、向坂氏について書かれた部分を引用する。
●愛を語れぬ向坂逸郎社会主義者の差別と偏見
向坂逸郎さんとは一九七八年に一度だけあった。正式には。彼が生きている限りはもう会うことはないし、会えないといったほうがよい。会う機会をつくってくれたのは『週刊ポスト』で新年号の対談のためだった。
私は社会党が好きだったし、その大御所に会うというので、朝風呂に入り、念入りにメイクアップをして期待して会いにいった。本来私は、この二十年間というもの朝七時以後に寝るという習慣で、朝の仕事はひきうけたくなかったが、その時は特別だった。
小学館の車に乗って向坂さんの家に着いた、それはまあ立派な家で何百年もたつかと思う庭木に囲まれた何百坪かという土地に建っていた。私の世界とは全く違うという感じで、社会主義者でマルクス主義者といわれる人が、凄い家に住んでいるなあというのが私の第一印象だった。
通された部屋は、ズラッと本の山だった。ニコニコと笑いながら部屋に入ってきた向坂逸郎は、好々爺という感じであった。(途中 略)
●オカマは病気!
ところが向坂さんはこうだ!
「ソヴェト共産主義になったら、お前の病気は治ってしまう」
私は少なくとも、向坂さんは庶民の味方という社会党の一つの顔であり、私のような者にたいしても差別や偏見のない人だと思っていた。私はオカマは病気でないと社会に訴えてこれまできた。差別や偏見のない平等な社会をつくるという私の考えと、社会主義者である彼と少しでも相通ずるものがあると思っていたのだ。何たる惨めな気分か。社会主義とは愛や恋のない御題目か。
「激しく恋もしたことがなければ、浮気もせず、女房ひとすじという人は、私のような人が不潔でいやらしんでしょう。私のような者や、ホモセクシャルに対して背筋のこおるような不快感があるんでしょうよ」
というようなことを私はいった。
「こんな変な人間を連れてくるのなら、もう小学館の取材に一切応じない」
と老人ヒステリー的に今度は権力をかさにきた発言をするのである。どうも、大物と称される人はマスコミでもちやほやされるらしい。嘆かわしい日本の文化というか。私だって生身の人間、もう我慢することはない。腹立たしくて、腹立たしくて。
「そんな、私がいくらホモでも人間として認めないようないいかたを、先生みたいな社会党の工ライさんがされたら困るじゃないの」
「こんなけったいな奴、連れてくるならもう帰れ」と向坂さんは怒鳴り、私を追いだすのである。
「私だってこんな偏見のある人と話しとうないわ」といってやっらんです。
そんな激しいいい合いをしばらく続けたが、追いだされた者は出るだけであった。『週刊ポスト』の人が、「向坂さんは年寄りだから、東郷さんよりは早く亡くなるだろうから、その時にはこの対談をトップにもってきますから、それまで保存しておきます」といって対談費用をくれたが、私の心は朝の期待感がこっぱみじんに破れていた。
向坂さんは、私のことを"病気だ"という。しかし、たとえ男が男を愛するということであっても、人間が人間を愛して幸せにするのが政治家であり、そういう思想をつくるのが思想家のつとめではないかと思う。それを人の病気とみなし、隔離しなければならないといういいざまである。「ソヴェト共産主義になったらお前の病気もなおる」なんていわれる筋合いはない。そんなだったら病気なんか治らなくともいいし、そういう優位者のための社会なんていらん。
社会的にも地位があり、社会党という党の権力者である向坂さんは、結局そこに安住していると思う。党の理論闘争とかはやっているんだろうけども、社会主義協会という中でも親分、子分的なつながりから派生している人間でしかないと思う。だって庶民の底辺にひそむ生きざまなんか、そこでは関係ないのだから。いかにしたら多数をとれるかという、形骸化された民主主義の最もひどい流行病におかされているのであろう。共産党の宮本さんとは会ったことがないのでわからないが、あるべき党員の規律に全くあてはまらない私であるから、もっと糞味噌にいわれるかもしれない。それともほほえんでくれるかしら。
私のような者でも、貧乏人や弱い者が報われる社会になってほしいと思って社会党に期待してきた。そんなことは向坂さんの態度で幻覚であると思った。
向坂さんは、日本の天皇陛下のように税金を喰いものにすることはないだろうけれど、社会党左派のシンボル的な天皇陛下ではないか。庶民の愛や生活について無頓着であり、実践的でないと思うからである。庶民の味方だという社会党も結局、上から下へという日本の社会的つながり、ヤクザ的な組織のつながりに支えられていると思うのである。
東郷健「常識を越えて」(ポット出版、2002.6.21発行)から
向坂氏が東郷健さんに話したことが全くの誤りであったことは、今では、当然のこととして私は断言できる。向坂氏が「オカマ」を病気としてとらえていたことは、今となれば誤りであったのみならず、犯罪的とすらいえる発想だと思っている。
しかし、そのことを、今の時代に住む私たちが言えば、彼には酷だ。明治生まれで、性のことではマジョリティに属していた彼に、ゲイのことを理解してもらうのは、どだい無理だったのだと思う。
社会党は、労働者の立場にたち、弱者の立場にたってものを言っていく政党であったと思っている。しかし、しょせんは人間の組織である。何十年も前のその当時、ほとんど多くの人が、侮蔑し差別していたゲイ(東郷さんの言葉でいえば"ホモ")やレズビアンに対しての見方は、社会主義者といえども偏見から自由ではありえなかった。いや、逆に、「環境が人間の思想をつくる」という唯物論を機械的に適用する習性があったがゆえに、同性愛を資本主義という環境が生んだ退廃的な文化だとみなし、むしろ、攻撃の対象にすらしてしまうという過ちを犯していたともいえる。「ソビエト共産主義になれば、病気はなおる」と述べていたように、社会主義になれば、資本主義の退廃文化である同性愛は消滅すると考えていたのだろう。この点では、保守的なイデオローグより、もっと大きな過ちを犯していたといえるかもしれない。
社会主義に、これといった定型はない。誤りも多い人間が、現在の政治や経済の矛盾点を一歩一歩解決していこうという営為であり、搾取や抑圧がない、個人の個性が最大限に尊重される社会が社会主義なのである。
どんなに権威ある社会主義者であっても、社会のすべてのことがらを正しく把握することなど不可能である。これは、マルクスだってレーニンだってそうだ。彼らが、同性愛や性同一性障害のことをどれだけ理解しえていただろうかということを考えれば、オールマイティの人間などありはしないことは容易に理解できるだろう。にもかかわらず、社会主義国と言われた国で、個人崇拝が存在していたのは最大の誤りであった。個人崇拝は社会主義とは無縁だ。絶えざる批判や議論こそを大切にしなければならないと、私は思う。
東郷健さんの方が、向坂逸郎氏よりも的確に正しく把握していた分野だってあったはずである。向坂氏が当を得ていた分野は、私たちの社会の様々な分野の解釈で、わずかの部分でしかありえなかったというぐらいの認識を持っておいてちょうどよくはないだろうか。そして、一人の人間が、ある党の理論的支柱になるという構造についても、今では再検討されていいと思う。もっとも、社会党は、向坂逸郎氏だけが支柱になりえるような一枚岩的な組織ではなかったが。
私は、本当の意味での社会主義社会は、次の時代にこそ必ずや成功裡に実現すると思っている。しかしそれは、旧ソ連型の政治や、一党独裁型の共産党政治などとは無縁の形態であるとも考えている。共産党という「前衛」がリーダーシップをとるような体制でもない。それは、多くの自立した、そして知識も考え方も豊かな人たちが連帯しあうなかでかたちづくられる理論、差別や偏見から解放されたものの見方を行い、ジェンダーフリーであって、しかし個人の性の方向性についても尊重される共生の思考となっていく社会ではないだろうか。また、生産力発展型を脱した社会形態にならざるをえないとも思っている。しかし、これは、一国でできることがらではないため、まさに、ある意味での「世界革命」は必要不可欠だろう。一国革命は成功しない。この意味では、トロツキーは正しいことを言っていたのかもしれない。しかし彼は、それを言う時代をまちがえていた。経済や情報がボーダーレスとなっている現在でしか通用しなかった理論だったのだ。もちろん、革命といったからといって、武力を用い血で血を洗うことを意味しない。社会システムの大幅な変更はあるだろうが、多数の合意にもとづいた運動としてすすめられていくと思っている。武力によく革命が、決していい結果をもたらさなかったことを、私たちの世代は嫌というほど知らされている。
いくらか飛躍的な物言いをするとすれば、ゲイやレズビアン、トランスジェンダーが偏見を受けず差別されない時代になるまでは、社会主義を実現することなど無理だったのである。性にかかわることは「最後の人権」とも言われている。つまり、「最後の人権」が解決されるような、差別や偏見がなくなっている社会発展とともにしか社会主義は実現しないということであったのだ。同性愛という個性を認めることもできなかった人たちが、社会主義を主導するのは早すぎたのである。早すぎた社会主義の実験は失敗する運命だったといえる。いや、社会主義の玄関にすらも達していなかったのかもしれない。「同性愛は病気だ、社会主義だとなおる」というような発想があって、それが社会主義であったはずはなかったからだ。社会主義は、本来、人の個性が最大限に尊重される社会であるはずだったのだ。
向坂逸郎氏は、ジェンダーについては、それを理解する感性が、ほとんどなかったのではないだろうか。彼のライフスタイルにまで口を出すつもりはないが、妻の向坂ゆき氏は、家庭をしっかりと守る形で向坂氏の活動を支えた人だった。向坂氏という男性は外で活動し、妻という女性は家庭を守るという、典型的な男女の役割分業にのっかかったスタイルであったような気がしている。今の時代に住む私が言うことは卑怯かもしれないが、これが、ひとりひとりの個性が生かされる社会であろうはずがない。
しかし、向坂氏が主導した社会主義協会も、時代の変化を受けとめていると思っている。というのは、この機関誌である「社会主義」編集部の方が、私が日本婦人会議で講演したとき来ていらっしゃっていて、この方を含めて、いわゆる、(旧)社会党左派の方々のなかにも、セクシュアルマイノリティのことを考えていこうという動きがあるように思えるからだ。東郷健さんの出版記念パーティで、私と同じく発起人であり来賓の1人でもあった衆議院議員の保坂展人氏は、「向坂逸郎氏は、『ゲイは病気であり、ソビエト社会主義になれば治る』と発言したが、これは誤りだ。申し訳ない」とのコメントを話された。保坂氏には全く責任はないが、社会党の継承である現在の社民党の重要ポストにある人物として、やはり語らなければならなかった言葉だったのだろうと思っている。
社会党のときのキーパースンのひとりでもあった向坂逸郎氏は、同性愛について完璧な誤りである発言をした。現在の社民党は、セクシュアルマイノリティへの対応について、向坂氏がやったような誤りを犯してほしくないと強く思う。これは、私から社民党への「愛のメッセージ」であるし、そのように受けとめてもらいたいと思っている。