No.70 熊日新聞に掲載された私のこと


多様な「性」認める社会に
トランスジェンダー(水俣市で講演)

〜平日は男性教師、週末だけ女性に宮崎留美子さん(熊本市出身)〜 

 平日は男性として首都圏の公立高校で教壇に立ち、週末だけ女性に―。体の性に違和感を感じる「トランスジェンダー」で、男性と女性を切リ替えながら生活する宮崎留美子さん(女性名)=熊本市出身=がこのほど、水俣市で講演。「性の在り方は、『男か女か』だけではなく、一人ひとり違う。その多様さを個性として認め合える社会に」と訴えた。
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 「カミングアウト(公表)してから、とても気持ちが楽になった」。トレードマークの黒いボブのウイッグ(かつら)に映える、夕ーコイズブルーのセーター。フレアスカートが、ひさ上で揺れる。
 厳格な父に「男らしく」としつけられた。自宅でこっそリ母の衣類を身に付けて「女性になりたい」という願望を満たした中学生のころ。県立熊本高校在学中に、初めて女装で街に出た。「男らしさ」を前面に出した、青春ドラマ全盛の時代。「スポーツが全くダメで、化粧をして喜ぶ自分は変な人間だ。だれにも言えないと思い悩んでいた」

●バランス

 北海道大在学中は、ゲイバーでアルバイト。教職に就いてからは、週末だけ女性に"戻る"ことで、心と体のバランスを保った。それでも「いつかこの『性癖』を治さなければ。結婚すればやめられるかもしれない」と思い、十数年前に見合い結婚。子どもも生まれた。「女装グッズを段ボール箱に入れて封印したけれど、2カ月で断念、再びパートタイムに」
 同僚にも妻にも、自分を偽る日々。苦い思い出がある。「物腰の柔らかい同僚を『あいつ、おかまみたいだな』とやゆする同僚に、『うん、そうだね』と同調した。弁護したら、私が怪しまれる。本当の自分を隠したために、差別する側に回ってしまった」

●カミングアウト

 1998(平成10)年。埼玉医大が日本で初めて、性同一性障害者への性別適合手術を実施。「これまで『変態』とひとくくリにされてきたのが、手術以降、マスコミの取り上げ方が変わってきた。私も、性同一性障害について正しく教えられる教師になろうと決めた」。99年、性と人権をテーマにした授業の中で打ち明けた。2000年には、著書「私はトランスジェンダー」を出して世間にも公表した。
 今年、戸籍の性別変更を認める特例法が成立した。対象は性同一性障害と診断され、性別適合手術を受けた人。さらに未婚で、子どもがいないなどの条件が付く。宮崎さんは「性同一性障害という病気の人に限り、治療が終わったから性別変更を認める、というもの」と批判的にみる。
 「同性婚は決して認めないという意思も感じる。性同一性障害に限らず、さまさまな形で自分の『性のゆらぎ』を感じている人はたくさんいるが、この法律では、ごくわずかな人しか救えない」

●ジェンダーフリー

 宮崎さんが訴えるのは、固定的な性別役割にとらわれない。ジェンダーフリーな社会の実現。「『らしさ』を完全になくすことではなく、『男らしさ』『女らしさ』を無理強いしないことが大事だと思う。『女らしさ』を男性が担ってもいい。個人の多様な選択を認め合う、そんな社会になってほしい」
 今年、テレビ局の取材でタイを訪れた。教師や軍人、物理学者…多くのトランスジェンダーが、さまざまな職種で活躍していた。「私もいつか、この姿で教壇に立ちたい。それが夢です」