(留美子の小さな旅)  新宿御苑の晩秋


 新宿御苑...東京都内に住んでいらっしゃる方はよく知っているか、少なくとも、名前ぐらいは耳にする場所だろう。しかし、東京外の方だと、あまり知らない方も多いかもしれない。
 新宿といえば、超高層ビルが立ち並ぶ近代的な大都会というイメージが強い。テレビなどで、高層ビルが林立している画面を目にする。
 しかし、一方では、こんなに閑静な広々とした公園があるのも、新宿のもうひとつの顔なのだ。JR新宿駅をはさんで、超高層ビルとは逆の側にあるのだが、公園を一歩出ると、そこにはまた、オフィスビルや商業ビルが立ち並んでいる。都心のオアシスともいうべき一角。それが新宿御苑である。200円の入園料をとられるのが、ちょっと痛い。

← 午後もかなり回ったころ、ずいぶんと低くなった太陽の光が水面に反射してきらきらとまばゆい。逆光で撮るため、ストロボを焚いている。(キャノンEOS10D、シグマの17mm〜35mmの超広角レンズを用いている) 

 背景にそびえるのは、代々木(新宿駅の隣の駅、渋谷区になる)NTTドコモの高層ビル。
 御苑内にある池の周りにはベンチがしつらえてある。そこでゆっくり休む人、犬や猫を散歩させる人、さまざまな人が、晩秋の午後を楽しんでいる。
 私も、歩き疲れたころで、ちょっと休憩。金沢にある北陸学院短期大学の学園祭に講演にいったときにお土産としていただいた「あぶらとり紙」を出してメイク直しをする。金沢の「あぶらとり紙」は名産物だと聞いた。確かに、普通に市販されているあぶらとり紙よりも、吸い取りがいいようだ。
 顔のテカリを直して、さて、今度は景色に溶け込む自分を演じたいと、しばし、午後の柔らかな秋の陽差しを受けて、秋をまどろんだ。

 ヤシの木に囲まれた、タイの常夏の情熱的な風景も好き。日本の「秋のまどろみ」も、また風流だ。甲乙つけがたい。

← オリンパスのデジタルカメラC−5050で、ズームをめいっぱいワイド側にして、リモコンで撮影

 「♪♪プラタナスの枯葉舞う冬の道で♪♪・・・・」の歌詞が曲の出だしとなっているのは『風』というフォークソング。はしだのりひことシューベルツというグループが歌ったうただ。
 この歌を口ずさむと、甘酸っぱい青春の思い出がよみがえる。「一人の手」「白いブランコ」「真夜中のギター」「友よ」「戦争を知らない子どもたち」...まるく輪になって、輪の真ん中にギターを抱えた人が伴奏を奏で、歌詞をリードして早口でしゃべり、そして、みんなで日が暮れるまで歌った。日が暮れると、クラーク会館に行き学食をとり、ロビーで政治や哲学を、ホントに真剣に語りあった。正義を真面目に語りあえた時代だった。
 でも、そんな私は、別の一面は、ニューハーフのお店(当時はゲイバーと呼んでいた)でアルバイトして、お客さんにアフターで寿司屋さんに連れていってもらったりと、他の学生とはちがう生活ももっていた。当時、誰にもそれは言えなかった。
 新宿御苑のプラタナスの枯葉は、私の青春を思い出させてくれたのだった。ところで『風』の作曲者も、ここの場所を通ったのだろうか。
キャノンEOS10D、シグマの17mm〜35mmの超広角レンズの組みあわせで撮影 →

 枯葉が舞うプラタナスの木に寄りかかって、しばし秋の陽を受ける。活動的にサンサンと明るい熱帯の太陽とはかなりちがう。なんとなくもの悲しい、頼りなげな光を投げかけている。
 でも、頼りなげな太陽が、赤いきれいな紅葉を、私たちにプレゼントしてくれているのかもしれない。日本の秋は本当に美しい。私たちの国の美しい自然の輝きを大事にしたい。そして、そういうところに生まれてきたことを幸せに思う。しかしそのことは、愛国心を強要されたり、君が代を歌わなければ処分するということで育まれるのではないことを、私ははっきりと感じる。
 美しい自然と四季に彩られた私たちの社会が、ひとりひとりが「自分らしく生きていける」ことや、多様なあり方や価値観の人たちが、お互いに認めあっていく共生の社会が花開いていること。そういった社会を創りあげていってこそ、私は、プラタナスの舞うこの国に生まれてきたことを誇りに思うだろう。