2005春 留美子、美(ちゅ)ら島・沖縄を歩く※BGMは沖縄民謡の「てんさぐの花」


 3月の連休を利用して沖縄に行ってきた。
 昨年、一昨年は、春休みにタイを訪れたのだが、今年は仕事上でいろいろと多忙なこともあり、海外に行くのは断念せざるをえなかった。しかし、きれいな海を見たいという欲求が湧き起こり、それだったら、南部戦跡、ひめゆりの塔などの沖縄戦の学習もかねて、「沖縄に行ってみよう」と考えたのだった。
 2泊3日で、航空料金とホテル代込みで、HISのツアーを申し込んだが、3万6千円程度だったのでかなり安い料金だった。航空料金は片道で1万円ぐらいということか。
 ホテルは、中級クラスのもので、豪華とはいえないが、国際通りという繁華街にも近く、そこそこにはよかったと思っている。
←万座毛ビーチにて.エメラルドグリーンの海の色に感動!


(右写真)那覇市内、首里城門に連なる石畳の階段

 もちろん沖縄に行って見るべきものは海の美しさばかりではない。
 沖縄の歴史に触れておきたいとも思う。琉球王国が薩摩藩の支配下に入ったとか、その一方で、中国との国交も欠かせなかったなど、日本本土とはちがった歴史をもっている。
 ここ、首里城のつくりは、本土の「城」とはまたちがう。中国風の雰囲気を色濃く漂わせている。
 首里城の城内は、あまりというか、ほとんど緑がない。本土の城内にはかなり多くの緑が植えられているのとは大きくちがう。そういえば、北京にある紫禁城(故宮博物院)内も緑はほとんどなく、人工的な石づくりの建築物が連なっているなどと共通するのかなと思ってしまった。

 ツアーといっても、みんなでゾロゾロと回るのではない。1人から申し込めるフリータイプのツアーで、すべての行程を自分で自由につくる。往復の航空機とホテルだけを前もって予約しておき、あとは自由というものだった。要するに、自由な1人旅となんらかわりはない。
 お昼ころにホテルに着き、荷物を預けて、すぐに首里城に行ってみた。最近、那覇市内に、「ゆいレール」というモノレールができていて、私が宿泊したホテルの最寄り駅である県庁前から終点の首里駅までは15分ぐらいである。バスに比べるとすごくわかりやすい交通機関だ。
 首里城は、2千円札の図柄にもなっている守礼の門があるところ。首里駅から歩くと20分ぐらいで、守礼の門とは逆の側から首里城公園内に入ることになる。
 赤や黄色で塗られた建物は中国文化の影響を感じさせる。城といっても、本州や九州・四国にあるような城郭とは全然違う。なんというか、敵から守ることに対して堅固ということがない。それぞれの大名が戦いあって領地を獲得してきた歴史とはちがうということにあるのかもしれない。
左上・右上 → 首里城内、 左 → ガジュマルの木の下で一休み

 守礼の門は修復のため、3月いっぱいはシートがかけられていて、2千円札の図柄になっている通りには見ることができなかった。
 門のあたりには、琉球衣装を貸してくれて、それを着て撮影してくれる写真屋さんが声をかけていた。私も声をかけられ、門を見ることができない代償にもなるかと思い、料金を払って撮影してもらった。銀塩カメラで撮影した写真は、後日郵送されてきたが、同時に、自分の手持ちのカメラででも撮ってくれるのもサービスのひとつになっていた。左の写真は、私のデジカメのなかに収まった民族衣装を着たモデルさんとのツーショットである。
 この日は、首里城をあとにして、石畳が美しい「金城町石畳道」を歩く。ここは、日本の道百選のひとつになっていて、なかなか趣があった。
 バスと「ゆいレール」で、那覇のメインストリートの国際通りまで行き、ブラブラ散策しながらホテルにもどる。
 夜は、泡盛の古酒(クース)を味わったり沖縄料理を食べようと国際通りに再び出て行った。
左上 → 守礼の門で衣装を借りてツーショット、  右上 → 金城町の石畳道にて

 ところで「ゆいレール」とは? 要するにモノレールのこと。東京の立川を通る多摩都市モノレールに似ている。沖縄には鉄道がなかったため(戦前には軽便鉄道があったようだが)、このモノレールが最初の鉄道的なものになる。バスに比べると時間が正確だし路線がわかりやすい。那覇空港と首里とを結んでいる。
 ゆいレールなども使ってホテルにもどり、ソックスとウォーキングシューズからヒールありのサンダルに履きかえて街にでることにした。
 この日の夜は、ガイドブックにでていた地酒と郷土料理のお店に行き、豚の網焼きや古酒(クース)などを食したあと、那覇市内で昨年オープンしたニューハーフショーを見に行った。これについては、別の機会に紹介したい。


 レンタカーは2日目から借りた。女性モードだと、レンタカーを借りるときのように、本名が載っている免許証を見せなければならないときに、ちょっと困ってしまう。※こういうときには、戸籍の性別や名前を変更できていれば面倒なことにはならないのだが、今の法律は、性別を変更できるのは、ごくごく限られた条件の人になってしまっている。性を変えて生きていきたいという人たちは、身体の性別(性器など)を変更し子どももいないという人ばかりではない。私のように「男ときどき女」として、日頃は男性モードで仕事をしていて、こうやって、あるときに女性となり、自分の心を安定させようという人たちもいる。こういった人たちのことを無視しているような現在のあり方には、たいへんな危惧をもっている。精神科医のような医学界でも、私たちのような人については、あまり関わりがないみたいだ。私たちのような人は医師の門をたたくことがほとんどないため、医師側も、私たちのタイプの苦悩などには無頓着というか関心外なのかもしれない。
 
この私の外観とはかりちがう男モードで写っている本名の免許証を見せて、「私はトランスジェンダーなので・・・・」と簡単に話したら、相手も商売であるわけで、宮崎留美子の名前で予約してあったレンタカーを難なく借りることができた。※ちなみに、本名で予約すると、ツアー全体の申し込みの名前とちがってくるため、レンタカー代金が割引にならないというデメリットがある.ツアーを女性名で女性として予約しておくと、ホテルの浴衣などを女性用にしてくれたりする場合があって、少なくとも、このひとときを「女性として過ごしたい」と考える私にとっては、やはり女性名での申し込みは必須.こういった、社会上のさまざまな不便を、戸籍の性別変更のみで解決しようとする路線は、私は邪道だと思うし、そういう路線は、結局は、ごく一部の人にしか福音をもたらさないと思うのだ。

 レンタカーを駆って、まずは、アジア最大の米軍基地と言われている嘉手納(カデナ)基地に行ってみた。
 いやーー広い。戦闘機が発着する様子も見てとれた。フェンスからなかには入れないのだが、かなり広いということが実感される。右の写真の場所は、ちょっとした丘で、ここからだと全体がよく眺められるスポットになっている。
 なんで、日本のなかに、こういう米軍基地がなければならないのか? 本当に日米安保条約なんて必要なのだろうか。1970年ごろ、ここの基地から、ベトナムに向けて爆撃機が飛び立っていっていたという。ベトナム人民を殺すために、どうして日本の土地を米軍に貸さなければならないのか? 私は、日米安保条約が日本を守っているとは到底思うわけにはいかない。日米安保を廃棄したら、アメリカが日本に経済的に冷たくするのでは?と言う人もいる。私は、それはありえないと思う。アメリカが日本に冷たくしたら困るのはアメリカじゃないのか。BSEのことで、アメリカが日本に対して、牛肉輸入再開の圧力をかけてきていることでもわかるように、日本はアメリカの重要な貿易相手国であり、安保条約の有無でこういう重要な経済パートナーをだいなしにすることなど考えられない。
 憲法9条は「戦力の放棄」を定めている。その解釈はいろいろとあり変遷もある。しかし私は、制定当時の理想こそは、冷戦が消えた今でこそ現実の課題になっていると思うのだ。軍事力をもたず、そして、安保条約などの軍事同盟も結ばないこと。つまり「非武装中立」こそが、21世紀の日本の生きる道だと信じている。
 中米のコスタリカは、これは名実ともに非武装中立の国家である。政情不安な国が多い中米のなかで、長く安定した国づくりができているし、夜、女性が独り歩きできるという安心できる社会でもあるという。軍隊にカネをかけないので、かわりに、教育にカネをかけているようで、中米のなかでは教育水準も高いという。
 コスタリカのような小さな国と日本とはちがうという人もいるだろう。「ちがう」といえば、なんだって「ちがう」わけで、「ちがう」ということを口実にした言い逃れにすぎないのではないだろうか。日本だって、国民が決然とした勇気を持ち、武力や軍事同盟に頼らずに平和国家をつくっていくという覇気を世界に示せば、私は、世界からも尊敬される国家となるのではないかと思っている。北朝鮮の脅威などという「口車」に惑わされてはだめだ。脅威は、それを思えば、どういうときだってある。第1、軍事同盟や自衛隊があったとしても、拉致被害者の奪還にどれだけの役に立つというのだろうか。
 社民党は、マイノリティや女性など、弱い立場に対して配慮する意識が強い政党だと思っている。社会民主主義という自由・平等・連帯の基本理念をベースにおいた政党だと思う。私は共感できるところは大きい。しかし、社民党の前身であった日本社会党時代に、社会党の重要な路線であった非武装中立の旗を降ろしたことについては全く同意できない。これについては、今でも「誤りであった」と私は思っている。ぜひ、今の社民党には、社会党の大事な宝であった「非武装中立」の旗をもう一度掲げてほしいと思う。
 カデナ基地を見ながら、こんなことを考えてしまった。

 冒頭の写真を撮った万座毛ビーチから、さらに車で20分ほどのところに、ザ・ブセナテラスという場所がある。ここのテラスラウンジはなかなかいい。3月下旬というと、もう夏なのだけど、夏真っ盛りではないため汗はでない。湿度も低く気持ちのいいカラッとしたさわやかさなのだ。午後のティータイムをとって、美しい海を満喫しながらのアイスカフェオレは、またなんともいえないテイストだった。

 さて、沖縄本島東部、太平洋側にある伊計島。島なのだけど本島とは橋でつながっている。海中道路を通って島に渡っていくようになっている。借りたレンタカーにカーナビがついていたので(今では当たり前か)、ディスプレイに出る地図と音声ガイドにしたがってすんなりと行くことができた。ブセナテラス午後のティーを楽しんだあと、カーナビをセットして伊計島に向かうのだが、カーナビは賢くも高速道路を利用する指示を出してくれるなど、的確に向かうことができた。着いたのは午後5時を回っていたため、エメラルドグリーンの海の色がいまいちよくなかったのが残念だが、白い砂浜がつづく伊計ビーチはなかなかすてきだった。


 高校で社会科(政治経済や現代社会)を担当している者としては、沖縄を訪れたら、やはり南部戦跡を訪問したいと思う。太平洋戦争の末期、沖縄戦で被った沖縄の人たちの苦難と、そして、戦後の復帰への道を学んでみたい要求はある。
 今回、どうも、日本史の近現代史部分も担当しなければならなくなりそうということもあり、であれば、沖縄戦のことが少しでもリアルに話していけたらという思いがあった。
 糸満市を中心とする地域は、とくに犠牲が大きかったという。有名な「ひめゆりの塔」もこの地域にある。そして、摩文仁の丘には、沖縄戦で犠牲になった人たち20万人以上の名前を刻んだ「平和の礎(いしじ)」が建立されている。これだけの「国家の戦争による無辜の民の被害者」のうえにたって、2度と戦争をしてはならないという思想を、沖縄の人たちに固く植えつけた旨のことが記してあった。
当時の敵国であったアメリカ人や、日本に徴用された、あるいは強制連行された朝鮮の人たちも含み、戦闘員・非戦闘員を問わず名前が刻まれている.戦争の犠牲者には、敵も味方も戦闘員も非戦闘員もない.沖縄の住民だけではなくアメリカ兵も1万人以上の犠牲者を出したということは、その兵士の妻や親も同様に涙を流して苦しんだ人たちが存在するということであって、日本人だけの「礎」ではないというところに、沖縄の「平和の心」をみてとることができると思う.

(左上写真、右写真)平和の礎を背景にして撮影    (左写真)有名なひめゆりの塔

 ここは摩文仁の丘。平和の礎が建つその地である。
 ご覧の通り切り立った崖が喜屋武岬の方まで続いている。太平洋を望む絶景の地なのだが、太平洋戦争の沖縄戦末期には、アメリカ軍に投降することを拒絶して、この崖から身を投げ命を落としていった一般の沖縄県民が多くいたという。
 アメリカ軍に捕まれば、男性であれば殺され、女性であればなぶりものにされてしまうと教え込まれていたのだった。本来は、戦争の場合、抵抗しない一般市民を殺害することなどありえず、女性をなぶりものにするとなれば、それは戦争犯罪になるはずである。そういったことは一切教えられなかったのだろう。一般市民に真実を隠すのが戦争なのだ。
 軍隊が市民を守るなどというのは嘘である。映画のビデオ『さとうきび畑の唄』という作品がある。沖縄戦をモチーフに描かれた作品だ。そのなかにつぎのようなシーンがあった。

 沖縄の住民が隠れている壕に日本軍の兵隊が入ってきた。そして「ここはこれから軍が使う.お前らは出て行け」というのだ。またつぎのシーンもあった。子どもが産まれそうな妊婦が野戦病院に駆け込んでくる。そうすると軍医が言うのだ。「民間人が何人か死んだところでたいしたことはない」と。妊婦は陣痛に苦しみながらその病院を後にする。
 通信線が爆撃で切られたので、若い兵士に「お前、外に出て直してこい」という。外は敵の銃弾が飛び交っている。兵士が躊躇していると「貴様、それでも日本男児か」と怒鳴るのだ。軍人は、自分を守るためには市民を見殺しにし、軍隊のなかでも、上官は部下の命など弊履のごとく消費しようとする。ここのどこに、軍隊は国民の命と財産を守るのだということができるだろうか。国民を守ると嘘をつき、その実は、権力者の地位と立場を守るというのが実態なのであると、映画は痛切に教えてくれた。
 沖縄の人々は、こういった軍隊の本質を嫌というほど知らされたこともあって、「軍隊は決して国民(住民)を守るものではない」という深く身について戦後を迎えたとのこと。沖縄県民の意識が他県民とはかなりちがっているのは、こういった「軍隊の本質」を知る深刻な体験をしたというところにあるような気がする。私たち本土の人も、沖縄県民の体験から多くを学ぶことがありそうな気がする。
 戦争や軍隊の本質が変わるわけはない。自衛隊が国民を守るためにあるというのは真っ赤な嘘ではないか。国民の命や財産を守るのではなく、ときの権力者が牛耳るその国家体制を守るためにあるということを見落とすわけにはいかない。そして権力者は、自分の命と自分の財産という私欲のために、「国民を守るために軍隊がある」と、嘘の口実をあたかも真実のように国民を欺くというのが本質だということ。
 災害時に、自衛隊が、国民の命や財産を守り懸命に働く姿がある。このときには、確かに国民を守っている。しかし忘れてはならない。このときは平時なのである。平時には軍隊が国民を守るために働くということはありえよう。しかし、戦時になったときには、軍隊という組織は、国民ではなく、権力者とその国家体制を守るために動くということ。これが本質なのだということを、沖縄戦の事実を知り痛切に感じとった。
 権力者は「世界の現実はこれこれだから軍隊は必要だ、安保条約は必要だ」というふうに言う。これはまやかしである。平和と軍隊・軍事同盟(安保条約)は本質的に相容れるものではない。軍備をなくす、そして軍事同盟を平和条約に切り替える。平和を守り育てるということは、この線上にしかない。即座にとはいかないかもしれないが、非武装中立の展望なくして本当の平和はありえない。そして、この考え方、視点が明確に述べられているのが、私たちが持っている日本国憲法の第9条なのだということ。9条の理念こそが、沖縄戦で亡くなった20万人以上の犠牲者の無念を晴らせる現実的な考え方だということを、私は改めて感じとった。
 9条を変えようとするいかなる策動にも、私は反対する。憲法9条の理念である非武装中立にこそ、21世紀のなかで、日本が世界から尊敬されて生存していける根源があるのだと私は思う。